Global Athlete PROJECT

寺田選手からのメッセージが届きました!


寺田選手からのメッセージが届きました!

1923年に誕生し、すでに80年以上の歴史を持つルマン24時間レース。権威あるこのレースに挑戦し続ける日本人レースドライバーがいる。1974年から現在まで29回の出場記録を持ち「Mr. ルマン」の愛称でも知られる寺田陽次郎さんである。

64歳になった現在も、33回というルマンの最多出場記録更新を目指して、ハンドルを握り続けている。そんな世界を知る寺田さんに、日本人レーサーが世界で活躍するための条件と、求められる語学力について聞いた。

初参戦のルマンで知った世界の壁

マツダオート東京に入社して最初の海外でのレースは、アメリカのフロリダ州で開催されていたデイトナ24時間レースでした。日本からマツダの車を2台持ち込んでの参戦だったのですが、1台はドライバーもメカニックも日本人が中心の日本チーム。もう一台を現地のアメリカ人が中心のアメリカチームといった編成にして臨みました。日本人だけで2チーム作れるほどスタッフがいなかったという事情もありますが、日本製の車と日本人スタッフだけで世界に挑んでみたいという気持ちもあったんです。でも、それでは世界では戦えないことを痛感させられました。

とくに1974年に初参戦したルマンでは、散々でした。僕たちが作った車は丈夫で壊れない、そんな絶対的な自信を持って乗り込みました。でも、ルマン24時間レースは想像以上の過酷さでした。当時、日本で行われていた最も距離の長いレースでも1000km。時間にして約5時間くらいです。ルマンの予選は2日間で行われるのですが、1日4時間、計8時間。予選だけで、日本で経験した最長レースを軽く超えてしまいました。直線の距離も桁違いで6kmもありました。フルフロットルで1分近く走ります。日本ではありえない長さで、エンジンもタイヤもボディも、耐えきれずにどんどん壊れていきました。

日本人だけでは勝負にもならない

食事や泊まるところも問題でした。ルマンの予選は午後7時から始まり、途中インターバルを挟んで、夜中の12時頃まで続きます。

予選が終わったあと、ご飯を食べようと思ってもレストランなんて開いていません。外国のチームはきちんとケータリングを用意していたのですが、僕らはそんなこと考えもしませんでした。ホテルも新参者が良い場所を押さえられるはずもなく、サーキットから50km近くも離れているうえ、全員同じホテルではなく分かれて宿泊していました。予選が終わって1時間近くにかけてホテルに帰り、仮眠を取ったら、またすぐサーキットに戻って来なければいけません。本戦がはじまる前に僕らは疲労困憊でした。
チームを総合的にマネジメントする力が、まったく整ってなかったのです。これでは勝てるわけがありません。勝つどころかまともなレースさえできません。このままではいけない。日本人だけのチームで戦うのではなく、インターナショナルなチームを作って、外国人からノウハウを学ばなければ、世界の檜舞台には立てないと知りました。同時に外国語でのコミュニケーションが必要になっていきました。

観客を喜ばせるのもプロの仕事

とはいえ、レースのことだけ考えれば、高い語学力が求められるわけではありませんでした。自動車やレースの用語ってもともと英語が中心です。キャブレターをわざわざ気化器と訳したりしませんよね。メカニックに車のセッティングをお願いするときも、「アンダーが強い」とか、「オーバーぎみ」だとか、「出口オーバーになるから、ここで止めよう」とか、あるいは「パーシャルの領域が良くないから、ミクスチャーを変えよう」といった具合で、片言の英語でも伝わります。その程度なら現場ですぐに覚えられます。

問題は記者会見などの公的な場です。通訳を介して受け答えすることも可能ですが、片言でも訪れた国の言葉で応対するのが、礼儀だと思っています。それにプロのスポーツ選手は、観客を喜ばせるのが仕事です。レースで最高のパフォーマンスを発揮するのはもちろんですが、より多くの人に知ってもらう努力も必要です。そのためには語学が欠かせません。奥ゆかしさが日本人の美徳ですが、これからは技術力に加え、語学力も自分の実力としてアピールする力が求められます。

細かいニュアンスを伝える語学力

さらに僕の場合は、ルマンに29回出場しているということもあり、取材を受けたり、最近はレセプションなどに招かれる機会も増えてきました。ルマンの魅力を広く一般の人にも伝えていくためには、海外を転戦しながらサーキットで身につけた現場の言葉ではなく、細かいニュアンスを伝える表現や、洗練された言葉遣い・発音でコミュニケーションができる高い語学力が求められます。そのレベルに達するために、数年前からトレーニング方法を模索していましたが、最近ロゼッタストーンに出会い、英語とフランス語を開始しました。

世界はますますボーダレスになってきています。日本人、アメリカ人といった国籍で選ばれるのではなく、抜きん出た能力のある人間を求めています。ただ実力があっても、アピールが下手ならシートが取れないこともあるでしょう。だからこれから海外に出て行こうという若いレーサーには、英語は最低限の条件になります。できれば3カ国語くらいは話してほしいところです。ヨーロッパでは当たり前に複数の言語を話しますから。将来、伸びて行くドライバーほど、語学の能力も優れています。

最後に必要なのは人間性

世界のトップレベルで活躍できるのは、ごく限られたひと握りの人間だけです。簡単にはチャンスはつかめません。グループのなかで頭角を表すような絶対的な速さと、自分の力をアピール力が大切です。そして最後は要求されるのが、人間性です。性格が良い人は上手に自分をアピールできるし、そうでない人は嫌みなアピールしかできません。ルマン24時間レースの場合、3人のドライバーで24時間のレースを走り切りますが、ひとりよがりの走り方をしていては絶対に勝てません。ドライバー3人が実力を一番発揮できるようなマシンにいかにして仕上げるのか、セッティングが鍵を握ります。ひとりのドライバーに合わせたマシンのセッティングでは、勝てません。チームの一員になれるのか、人間性が重要になってくると思います。

世界に挑戦する若者を育てたい

僕の小さい頃の夢は、世界の檜舞台で日本製の車に乗って、日本人の手で日の丸を掲げることでした。その気持ちはいまでも変わりません。やはり異国の地で日の丸を掲げて、君が代を聞くのはやっぱり良いものです。自分の国を誇りに思います。でも若い人を中心に、だんだんそういう気持ちが薄らいできているような気がしてなりません。いま僕には二つの夢があります。ひとつは日本の若者にもルマン出場へのチャンスを作ってあげることです。僕もまだまだ現役ですが、若い人にもあの舞台に立ってもらいたい。

だから、日本あるいはアジア圏で、ルマンへのステップアップになるようなレースを主催したいと思っています。そのときは外国との交渉も必要となってくるので、現在、磨いている語学力が活かせるかもしれません。そして、もうひとつの夢は、フランスの英雄、アンリ・ペスカロロさんが持つルマンの最多出場記録である33回を更新すること。それまでは走り続けたいと思っています。彼はもう引退していますから、可能性はありますよ。