Global Athlete PROJECT

英語サッカー エヴィン先生ストーリー Part1

見た目、英語はもちろん、リアクション、エンターテイナーなところはアメリカ人。でも話してみると、日本語ベラベラで周りを楽しまつつ、礼儀は大切にするところも。入社当初から言うことはバシッと言うけど、周りとの調和具合も抜群。日本とアメリカの良いところが絶妙に混ざり合っていて、「生まれはどこ?どうやって育ったの?」と興味しか湧かないエヴィン先生。まずは、暴れ気味(笑)な幼少期から高校生に至るまでをたっぷり聞いてきました!

実は群馬生まれ群馬育ち!

生まれは群馬で、三兄弟の真ん中。高校生になるまでずっと群馬で育ちました。
両親はどちらもアメリカ人なのですが、音楽家として日本に来ていた父が、英会話スクールを始め、さらに新たにできるインターナショナルスクールのカリキュラム作りなども手がけていました。そして、両親が阪神・淡路大震災のチャリティコンサートをしていた時に、地元のコミュニティの暖かさに触れたことがきっかけで日本に定住することを決めたようです。

保育園にいるころは、エネルギーがありすぎて、問題児でした。机を投げたりするくらい暴れていて(!!)、怪我もしょっちゅうでしたし、親は大変だったと思います笑。

そんな幼少期ですが、絵を描くことが大好きで、教室にも通っていました。とにかく自由に描いてOKでのびのびと絵を描くことを楽しんでいました。

小学校は、父親が創立時にカリキュラム作成に携わったインターナショナルスクールに入学しました。保育園は日本語でしたが小学校から国語、社会以外の科目は全て英語の環境でした。小学生の頃は、ずっと好きだった絵と、サックスに夢中になっていましたね。我が家では、音楽家である父の影響もあり、兄弟3人みんな楽器の経験があるんですが、兄弟それぞれが違う楽器にする、というのがルールでした。同じ楽器だと兄弟同士で比べてしまう、という両親の思いがあったようです。

体を動かすことも好きだったので、水泳や陸上などの様々なスポーツもしていました。

一方学校生活は、感情むき出しな感じでなかなか荒れてましたね。父が学校で音楽を教えていたこともあり、父と一緒に登校し、クラス終了後も宿題をして父が仕事が終わるのを待ち、一緒に帰るという毎日だったので、同世代の友達と一緒に学校に行って、遊んで、帰る、みたいな経験がなかったんです。さらに、父が常に学校にいるので、何かあるとすぐに父の耳に入ってしまうという環境。窮屈な環境がさらに反抗心を生んでいた気がします。英語をアウトプットする場が常にあり、教育的にはとても恵まれていたのですが、中学はそのままインターに進むのではなく、普通の公立の中学校に行きたいと思っていました。父親には、自分の気持ちを正直に話しましたが、反対することなく、自分自身の意思を尊重してくれました。

転換期になった、インターから公立中学への入学

まっさらなスタートで始まった中学校生活は、自分にとって大きな転換期だったと思います。小学校と全く違って、全校生徒がだいたい40人くらい。全員が顔を知っている環境だったので、外国人の顔をした自分が最初から馴染んでいたわけもなく、、。当時は、自分自身の感情をそのまま出してしまうこともあり、かなり浮いていたようです。自分では気づいていませんでしたが、周りから色々言われたりもしていたようで、担任の先生がバシッと「友達との接し方を変えてみたら?」と言ってくれたんです。先生とは、一人の人間として向き合って接することができて、自分にとって良い出会いだったと思います。先生のアドバイスを受けてからは、自分の感情をコントロールすることを覚えて、いわゆる社会で生活することを学んだ気がします。

学業の方も最初は大変でした。日本語と社会以外の科目は全て日本語で学び直し。
たとえば分数なんかも日本語と英語は表現方法が逆で、そういった違いを一つ一つ学んでキャッチアップしていきました。

部活は野球部に入部。入学した中学校はスポーツの部活が卓球部、野球部、剣道部のみだったので、その限られた選択肢の中で小学校のときに経験もあった野球を選択しました。加えて、小学校でも好きだった絵と楽器を続けたかったのですが、全てに全力を注ぐことは難しいので、野球と絵を選択。そんなわけで、野球部の練習が終わったら、絵を描く、そんな中学校生活を送っていました。

中学生の頃は、部活のキャプテンや、生徒会、合唱コンクールの指揮者なんかもしていて、自分だけではなくメンバーの様子も見て、まとめる役割も経験しました。

野球部で「耐え忍ぶこと」を学んだ高校

高校進学時は将来画家になりたい、と言う気持ちが強く、美術コースがある高校を視野に入れるほどでしたが、最終的には公立高校に行きながら、絵の塾で腕を磨くことを選択しました。ですが、野球部からの誘いもあり、自分自身も高校野球への憧れもあったので、中学に引き続き野球部に入部。絵は高校野球をやり切ってから再開することにしました。野球部はとにかく練習がきつくて、上下関係も厳しく、まさに野球部では「耐え忍ぶこと」を学んだ気がします。授業前の早朝から練習し、授業が終わってからも練習、休みは年末のみ。お陰で3年の春夏ベスト8まで残ることができましたが、とにかく辛かったです。入部してすぐ退部までの日にちをカウントダウンをするほど笑

そんな高校生活でしたが、野球の応援団長をしたり、いつも盛り上げ役、ふざけ役でエンターテイナーな性格はこの頃も健在でした!

高校卒業後の進路については、親から大学に行きなさい、働きなさい、とか言われることはなく、視野を広げるためにワーキングホリデーを勧めてくれたりもしていました。
進学校ではなかったので、卒業後就職する同級生も多い中、何か新しく夢中になれることを探したいなと思い、大学受験することに。英語でアドバンテージがあった分、他の科目の勉強に集中することができて、無事志望校に合格することができました。

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エンターテイナーな性格はそのままに、中学校、高校で日本語や日本文化にもどっぷり触れたエヴィン先生。
新しく夢中になれることを探しに、いざ東京の大学へ!東京で始まる新しいストーリーはPart2で!!

ちなみに、今年新規開校した英語サッカー流山おおたかの森校はエヴィン先生の担当校!
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