英語キッズチア トモミ先生ストーリー Part1 幼少期からダンサーとしての夢を実現するまで
会うたびにいつもエネルギッシュでこちらもパワーが湧いてくるともみ先生。子ども達を我が子のように愛していてオフィスでも「うちの子達自慢」が絶えません!そんなともみ先生にこれまでのストーリーをがっつりインタビューしてきました!
根っからの目立ちたがり屋!な幼少時
小さい頃から怖いもの知らずで、人前にたつことが大好きでした。
今でもよく覚えているのが、東京に引っ越して来たとき、家族は荷解きなどでバタバタしていたのですが、私の姿が見当たらず「ともみはどこに行った!?」となったんです。その時私が何をしていたかというと近くの小学校で開催されていた運動会の徒競走に勝手に参加し、ちゃっかり参加賞までもらっていました。
好奇心が強くて、興味がある場所に体が動いてしまうタイプだったみたいです笑 両親も私の性格を知っていたので、心配というより、またか、っという感じでした。
小学生では、モダンバレエとサッカーを習っていて、発表会に出ることも大好きだったし、活発な性格でクラスのリーダーや学級委員もやっていました。
歌にも熱心だった中学時代
中学に入ってからもダンスは好きで、私のグループが考えた創作ダンスが毎年学年で選ばれていました。クリエイティブなことも好きだったみたいです。
中学生では陸上部に所属していましたが、実は合唱部のヘルプもしていました。合唱部が強い学校でNHKコンクールに出場したり、CDを出したこともあるんですよ!歌の道に進みたいな、という気持ちが芽生えるほど、歌の魅力にもハマった中学生時代でした。
高校は女子校に通うも合わずに通信高校へ転校。アルバイトやダンスに精を出していました。
ダンサーになる夢が始まる
通信高校卒業後、バイト生活を楽しく送っていた時ふと、目標を見つけたい!と思い、とにかく自分が好きなものを片っ端から書き上げました。
結果、自分の中でこれだ!と思ったものは、ディズニーランドのダンサー。自分の好きな「ダンス」と「ディズニー」から決まった目標でした。
目指すものが決まったら、具体的にどういう経歴の人がディズニーダンサーになっているのか、どこの専門学校がいいか等を徹底的に調べました。結果、自分がお金を貯めて手の届く学校を見つけ出し、専門学校に通うことを決めました。
学校ではバレエ、タップ、ジャズダンスなどダンス一色の生活。学校に通いながらオーディションも受けていましたが、1年経過した時点でどこも合格できなかったんです。このままではダメだ!もっと本気でやらないとダンサーにはなれない、と危機感を感じ、「自分の良さ」や「アピールポイント」を再度徹底研究。マインドを変えてさらにダンスに没頭しました。
そして学校に通い始めて1年半、ついに地方のテーマパークに合格!東京を離れ、テーマパークダンサーとしての道を歩み始めました。
プロ野球チアとの出会い
地方のテーマパークから合格してから1年後、ダンサーとしての生活は楽しいこともありましたが、育った場所を離れ、知り合いは職場の人のみ、厳しい事もありましたがやりがいも感じていました。
ダンサーは契約更新があるので、以前から興味があったプロ野球チアを契約更新のタイミングで受けたんです。チアダンスのパッション溢れる感じがもともと好きだったので、オーディションに挑戦したところ合格。プロのチアダンサーとしてのキャリアが始まりました。
試合中のパフォーマンスが大好きでしたよ!拘束時間が長く大変な事もありましたが、試合以外で幼稚園訪問など地域と密接に関わる仕事もあり、子ども達と身近で触れ合える事もとても楽しかったです!
ついに夢のディズニーダンサーに
プロ野球チアを引退後、しまじろうコンサートなどのお仕事を経て、ついに夢のディズニーダンサーに合格!!20歳でディズニーダンサーになりたいと決めてから3回目のオーディションでした。合格した時は、歓喜!!と言うより悟るような不思議な感覚でした。
ディズニーでのショーやパレードへの出演は憧れていた事もあり、歌や音楽、演出も全てが大好きだったので見える景色が別格でした!MCのお仕事もやらせてもらい、3年間、ディズニーダンサーとしてダンサーの情熱を出し切りました。
決められたレールを行く人生でなく、自分がやりたいことをしっかり考え、自分で人生を切り開いてきたともみ先生ストーリー。全てを文章にはできないくらい本当に濃厚!!!
ちなみに、、さらっと書いていますが、ディズニーのダンサーはもちろん、プロ野球チアもとっても狭き門で、ともみ先生のキャリアはめちゃくちゃすごいです。。がしかし、常にやってみたいことに溢れているともみ先生、夢が叶ったらまた次の夢に向かってストーリーは続きます!
次回のPart2もお楽しみに〜!